第970回 「常識論」
会社の朝礼テーマを、1ヶ月毎に変えることにしていますが、朝礼当番の人員上ぴったり1ヶ月では収まりません。そういう事情の元、現在の朝礼テーマは「常識」についてです。始め私は、常識というテーマはシンプル過ぎて、話すべき内容は直ぐに尽きるかもしれないと思っていましたが、面白いことに当番毎に各々の常識への認識は、様々なようで多様なことが話されています。それでも大雑把にそれらを纏めると、常識に沿う言動をするのが常識的であるが、必ずしも道徳的ルールと常識は一致しない場合もある。常識は場所や世代(時代)で変わるものだ。と、いうような発言が多いように感じます。
そもそも常識は、集団生活を行う為の人間の知恵です。そして、集団の性質によって常識目的は、分別されるようです。ひとつは、家族や会社の仲間や友人関係などのコミュニティを円滑に運営するための常識です。二つ目は、目的を持つ集団、組織や会社などにおける組織常識です。一つ目のコミュニティにおける常識の目的は、同じコミュニティの仲間(家族や友人や、会社の仲間、通りすがりの日常生活者など)にとって、心地悪い言動を避けることが基本です。厄介なことにこの場合、心地悪い言動は集団の文化や、集団に属する人たちの属性(世代、過ごしてきた環境など)によって、微妙に異なる場合があります。
常識とは、18歳までに積み上げられた雑念だ、と言い切る人もいます。しかし、概ね社会通念上の道徳に沿うと考えます。世代による常識認識の差異が激しいのは、学校教育における道徳の授業がなくなってから、道徳への認識の乱れや希薄化が加速されているからかも知れません。
一方、二つ目の集団目標の常識は、組織メンバー全員が守るべきと認識すべきものです。何故なら、これは集団の目的に沿うように設けられた、あるいは指導された常識であるからです。例えば、会社は会社のメンバーの利益追求が組織目的です。ですから、そのための生産性向上だとか、優れた品質成果、お客様を大切にする、メンバーのスキルアップ、などなどの企業目的に沿う言動を常識と呼びます。ですから、メンバーは自分たちの目的のために、全員で常識を守るべきなのです。
そして、その組織常識は、環境変化などによって本来の組織目標を損なうようになった時には、対応のために大きく変える必要が生じる場合もあります。丁度、最近私が体験したケースで、そのことを如実に理解しました。いろいろな理由から組織の体質改革を試みるべきだと考えており、その手段として組織体制を変更する案を考えました。現行の組織に感じている様々な拙いと思われる問題を解決するために、かなり斬新なアイデアを考えたのです。それを、数人の前で発表すると、前例を知らないばかりか、恐らく他の組織にもあまり例がないだろうと思ったようで、具体的な想像が出来なかったからかもしれませんが、暫く受け入れてもらえませんでした。
この例からイノベーションや発見の為には、常識が邪魔をする場合がある、という今更ながらの教訓を、思い浮かべました。時には、常識や前提条件を外して考えてみることも大切ですね。永年掛けて積み上げた結果生じて来た不都合は、過去の常識にとらわれているとなかなか乗り切るのが難しいケースがあります。従来の常識を取っ払った大胆な発想が、解決へ導いてくれる近道のように思われます。