第771回 「集中力が欠ける原因」
今年も瞬く間に12月に入ってしまいました。
毎日慌ただしく暮らしていると、月日の経つのがとても早く感じられます。
御堂筋に銀杏葉の絨毯が敷き詰められ始め、銀杏並木がイルミネーションで装われると、急に年末気分になります。
私は日頃から御堂筋を歩くのが好きですが、この時期はとりわけ大好きです。
実際のところは、年末に入り遣らねばならない事が山積みの如く押し寄せて来るようで、慌ただしく焦る気分が大きいはずなのですが、そういう気分を含めて1年間を締めくくる気持が御堂筋の景色を眺めていると、段々醸成されてきます。
イルミネーションがキラキラ輝く非日常的に華やかな銀杏並木道を歩きながらだと、珍しくいろんなことへ思いを巡らすことが出来ます。
年末を迎え1年間がもう直ぐ終わりになるのだが、この1年間はどうだったのか、何か成長が出来たのだろうか、次の課題は?など自省や内省もどきの自己評価を行なう気持ちにもなります。
つまり、自分が過ごした直近1年間を総括するチャンスになるのです。
最近の人たちは毎日とても慌ただしく過ごしています。
インターネットなどの技術の発達が、私たちの業務の生産性を向上させてくれますが、生産性が向上するほどより多くの業務を取り込まなければならなくなります。
そのためには、並行業務遂行が当たり前です。仕事ができる有能な人の定義は、並行業務遂行の手際の良い人と合致するような傾向が大きくなっています。
じっくり物事に取組むよりも、「早い・多量」の業務をこなすことの方が、世間ではもてはやされ、そういう空気の中では、じっくり物事に取組む習慣は、稀薄になります。
当然ながら、物事を深く考えるために費やす時間は持てなくなってきます。
そうして、ついつい眼の前にある業務をやっつけることにばかり目線と思考は、行きます。
そういう風潮が社会文化となってしまったのか新人などの若い人たちに見られるのは、全体を見渡すことよりも眼の前のことだけに囚われてしまうが、一般的な特徴です。
その結果、並行業務遂行はさらなる弊害を生みだしているようです。
並行で業務推進を巧みに遣り切る人ほど、集中力が乏しくなってきているのではないかと、
思えるのです。
私自身、子供の頃や学生時代はもっと集中力があったのではないか、と自己評価するほど自身の集中力の欠如を感じます。
なるほど、複数の並行業務をこなそうとすれば複数の業務に対して均等なエネルギーを注がなくてはなりません。
つまり、ひとつことに集中するより、複数の対象に向けて均等に注意を巡らすよう、つまり注意力を分散させる、脳の働きが必要です。
分散脳が鍛えられるのです。
一方、業務を成功させるためには、集中力を働かせて深く考え、戦略を立てることや、マネージメントのため全体を見渡すことが必須です。
こういう相反する脳のスキルが要求されますが、一人の人間の中にこの二つの脳スキルを同居させることは不可能なのではないか、と思います。
このように、社会全体の風潮が並行業務推進型に偏りつつある今、注意力分散型が蔓延り、集中力発揮型は絶滅危惧種になりつつある?そんな、感じもします。
併せて、さらに全体的に苦手となって来ている行為に、自省や内省の行為があるようです。
これも集中力と考察する習慣が基本となりますので、分散脳には苦手分野なのでしょう。
自分や自社が社会の中でどう見られているのかを、第三者(顧客や世の中の他者)の目で評価することは、社会生活を営む上で、いわんや仕事の高い成果を出す上で、とても重要です。
反省しない(できない)人が成長しないのは、上手く行かなかった時にその原因を追求することをしないからです。
自省しない(できない)ため、失敗の原因を環境や第三者のせいにするしかなくなります。
その結果、自分自身は伸びず、リーダーシップを機能させることもできません。
暫く前から提唱され始めた“ロハス”は、こういうことへの警鐘としても受け取れるようです。