第912回 「環境のクリーン化」
朝の満員電車で入口周辺に乗り込んだはずの私は、長座席の真ん中あたりまで押し込まれました。
そして、目の前の座席に座っていた人の組んだ足に阻まれて、それ以上押し込まれることができませんでした。
しかし、電車が次の駅に到着するまで、私は押されたまま上半身は押された方向へ傾き、足は動かせない不安定な姿勢の窮屈な状態でした。
驚くことに、私の横に立っている人は、そんなに混雑した身体の自由が利かない車内であっても、自分の片腕を動かせる空間を無理に確保し、不自然なスタイルのままスマホのゲームを続けています。
スマホのキーボードを操作する都度、腕が私の顔の前で上下します。その腕に当たらないようその都度私は、顔をそむけねばなりません。
もし、前に座っている人の足が組まれていなかったら、もう少し楽だろう、ゲームの腕が上下に動かなかったら、もう少し安定した状態でいられたと思いながら、只管次の駅に到着するのを今か今かと、待ちました。
周囲がどんなに混乱した状況になっても、組まれた足は解かれませんでしたし、ゲームの腕は制止しませんでした。
やっとのこと、私が下車する駅に到着し、混雑した車内から押し出されるようにしてホームに出ました。
一刻も早く、人ごみから抜け出したいと思うものの、前を歩く人はスマホ画面を操作しながらのノロノロ歩調です。何とか一人追い抜いても、その前にも又、スマホの画面に見入りながらゆっくり目歩調の人がぞろぞろ歩いており、苛々感が募ってきます。
また、雨に日には、濡れた傘を辺り構わず振る人や、リュックやカバンのひもにひっかけた傘が揺れるに任せている、他人に当たっても気付くことのない人にも苛々させられます。
こうやって並べてみると、なんと多くの不快を乗り越えて私は、毎日出勤していることかと、自分を褒めて遣りたくなります。
こんな風にして毎朝私は出勤しており、これが私の通勤環境なのです。
私が迷惑を受けると感じる行為をする人たちには、その人なりの何らかの事情や好みなどがあり、迷惑をかけて遣ろうと言う思いがあるのではないのでしょうが、結果として私の通勤環境を非常に悪化させています。
同じように職場には、職場の勤務環境や仕事遂行環境が形成されています。
例えば、自分の隣に余り相性の良くない人が座っている。または、やたら話しかける人がいて、集中したい時にはとても迷惑である。時には、始終咳が絶えない人がいて、気になる。などの職場環境があったとします。
この場合も、決して迷惑をかけて遣ろうと意図的に行われる行為ではないのですが、周囲にすれば、職場環境悪化が引き起こされてしまっています。
昨今は、世界的に環境意識が高まり、自然環境などへは人々の関心が非常に高く、自然環境のクリーン化が人々のテーマとなっています。
一方、私たち自身が社会空間の環境の一部だと言う意識には余り馴染みがありません。
しかし、私たちは社会生活を営む中で、その社会空間の環境の一部なのです。
その証拠に、私たちは社会空間環境のクリーン化のためにマナーや公的ルールを、設けています。
ですから、私たちがマナーに気をつけ、公的なルールを守ることは、社会空間環境のクリーン化を目指す行為であり、とても今日的トレンディな行為のはずなのです。