第816回 「選ぶのは?」
10月も最終日になりました。今年は、天候不順ですね。
10月も中旬となり、やっと秋らしい気配になるかも、と期待する時期になって、
突然大きな台風が立て続けにやって来ました。
併せて極端な寒気も襲って来るなど、何気に調子が狂い勝ちな10月でした。
と、言いながらも、今日は台風が去ってやや寒ながら、秋晴れの気持ちの良い日です。
今夜もハロウィーン仮装した人々が繰り出して、大騒ぎするのでしょうか。
先日のTVのニュースに、アメリカのトランプ大統領がハロウィーンを祝うために、子供達を執務室に招きいれている映像が流されていました。
トランプ大統領関連のニュースでは、珍しくほっこりする映像でした。
今日仮装して大騒ぎする人たちは、何を祝うのでしょうか。
そのせいで今年も交通整理の警察官たちは、大忙しになるのでしょう。
何を祝っているのかわからないハロウィーンの騒ぎ、
無意味にテンションを上げて騒いでいる人たちのせいで、汗をかき、かき、仕事に励むのは、馬鹿らしくない?と、私などはついつい思ってしまいます。
しかし、恐らく彼らは
「混雑した人ごみを整理して治安を守るのは、自分たちが遣るべき仕事だ!」
と、精を出してくださるのでしょう。
「遣るべき」という使命感を伴うと、
人は思いがけず頑張れますし、それに伴って質の高い成果を出すことが出来ます。
一方、「遣れること」だけを遣るのでは、熱意と注ぐ力は、かなり弱くなります。
その結果、成果の質も同じように弱くなります。
「遣るべき」と、自覚し遂行する場合に比べると、成果は大きく低下します。
新人や入社から日の浅いスタッフたちの報告書に、日常的に記載されるフレーズがあります。
それは、「頑張ったのですが、上手く行きませんでした。次回は、このことから学んだことを生かそうと思います。」と、言うようなフレーズです。
同じスタッフが、ことあるごとに同じフレーズを繰り返します。その都度、私は、白けてしまいます。
「本気で成長したいと、望んでいるの?本当に学びがあるの?」と、疑心暗鬼になります。
もしかしたら、都度頑張る気持ちにはなるものの、頑張る方法というか、向き合う気持ちが緩いのではないのですか?
頑張る気持ちはあるのだけれど、成果に繋がらない人は「遣れること」だけを遣っている。「どうしても遣らなければならない」と、言う緊迫した気持ちではないのでしょう。
そうだとしたら、成長の速度は遅々たるものです。目覚しい成長を遂げて行くことはありえません。
このような人を仲間は、「あの人はスキルが低い、と言うわけではないし、不真面目と言うほどではないけれど、任せてしまうのは不安だ。でも、どこが悪いのか、と聞かれると、明確には答えられない。しいて言えば、責任感が薄いように思える、そして、強い熱意を持っているようには見えないので不安である。」と、微妙な評価をしています。
一方、当事者は、「一生懸命頑張っているのに、評価されない。目覚しい成果を上げることもできない。」と、不満そうです。
ここはやっぱり「遣るべき」気持ちになって緊張感を強めないと、解決しません。
目標達成なども同様です。目標を立てて、「頑張っているけれど未達・・・」という人の場合、やはり「遣れること」を基準にした、行動が目に付きます。
客観的に見ると、何となく緩慢な行動に見えます。
必ず目標をクリアーする人は、科学的アプローチです。
「達成すべき目標」から逆算して、日々「遣るべきこと」に落とし込み、実践しています。
仕事をして報酬を貰う限り、プロフェッショナルです。
プロフェッショナルの仕事は、「遣るべき」目標が明確です。
その遣るべき目標に挑戦し、いずれ成し遂げていく事が、プロフェッショナルとしのプライド、自尊心の醸成になると、思います。