第926回 「新型コロナウイルス」
新型コロナウイルスが猛威を奮っていますね。毎日、新たな感染ニュースが起こっており、報道は、TVも新聞もNETも新型コロナウイルス一辺倒です。
この頃の私たちの世間話は、「新型コロナウイルス騒ぎ、早く収束してほしいものですね。」から始まります。
このように現在大変世間で、騒ぎを大きくしているウイルスは、我々人間社会にとって現時点では当然ながら非常な「悪」です。
一方、未来永劫「悪」であり続けることはないだろうと推測します。
近いうちに、今回出現したウイルスに効果的な薬や治療法、そして予防策などが実現すると、人間はウイルスに勝つのだろうと、推測するからです。
その瞬間に「悪」とされていたウイルス騒ぎの評価は、「良」に変わるのだろうと思います。
何故なら、このウイルスをやっつける手段や薬を発見する過程において、恐らく多くの科学的発見や発明などを伴うだろうからです。そうして発見した新たな科学的事実や手法は、今回のお騒がせウイルスだけでなく、他の事象についても人類へ貢献するはずです。
そして、人類への貢献度が高ければ高いほど、ウイルスの価値は高く評価されます。
今までも、このようにして人間は、目の前の危機を乗り越えると同時に、危機を機会に大きく科学や医学の発展を遂げてきました。そして、恐らく今後も同じように「不幸な出来事をチャンスにする。」ことが、続いていくだろうと、思います。
つまり、目の前に生じた「悪」と思われる出来事をきっかけにして、良い状態を創り出して来たし、これからもそうし続けるのです。ですから、目の前の出来事が永久に「良」とか「悪」というのは、存在しなく、それは極短時間の間、人々に映る事象への感想に過ぎないのです。
人は、危機を「悪」と感じ、危機感から高まる強い緊張感に押されて、関係者は必死で対応策などを見つける努力を重ねます。そして、対応策を見つけた瞬間、「悪」事象は「良」へと評価が転じられます。
このようにして「悪」と「良」は、連続して繰り返されますが、その評価は人が瞬間の状況を鑑みて決めているだけなのです。
“失敗するのが怖いので、挑戦できない、挑戦することを躊躇する。”
または、”間違っているかもしれない。そうすると、人に笑われるかもしれない。それは恥ずかしいので発言しない。人の前には出たくない。“と、言う若い人たちが、多くいます。
つまり、挑戦に失敗や笑われるという「悪」の予感を感じています。
そういう人たちは、年長の人生経験豊かな人たちから「失敗や恥をかくことを、怖れると成長しない。」と、言われたことがあると思います。
これは、失敗という「悪」を体験して成長という「良」を生じさせろ、と言われているのです。
新人のように世慣れない純粋な人たちは、年長の経験者の言うことをよく聞きます。
そして、成長を遂げようと挑戦を試みます。その結果は、失敗を重ねながらも、著しい成長をもたらすことがあります。
一方、世慣れてはいるけれど、あまりよく出来る人ではない人たちは、「そんなの、ことわざでしょう。言葉遊びでしょう!」であるとか「そんなこと言っても、わざわざ失敗なんかして、苦労したくないよ!」と、せっかくいただいた助言をスルーし勝ちです。
自分を変革できる人と、変革できない人の違いは、このように心がけに潜む些細な負にあるようです。
尤も、”失敗を通して成長した”と、そこで止まってしまうと、次はまた「悪」が出現します。
人生は、やはり「悪」と「良」の連続繰り返しのようです。立ち止まると、終わりのようです。