第815回 「プロ根性」
先週末は、強力で大型の台風と、ドラマティックな展開に見えた衆議院選挙騒動と、
ダブルで騒がしい週末でした。
台風は、被害に見舞われた方々には一生忘れられない負の記憶となるでしょう。
心よりお見舞い申し上げます。
一方、選挙のほうの終わりは予想外にあっけなく、過ぎ行きました。
終わったと言う開放感と、雨模様の日が続いていた天候から、久しぶりにのぞいた青空が、スカッと心をリセットし、軽くしてくれるような晴れやかな気分です。
尤も、最近の心が明るくなる話題のトップは、先日のプロボクサーの世界タイトルマッチですね。
村田選手がリベンジ挑戦、見事快挙を成し遂げたことは、日本国民全員の心を大変明るくし、元気をもたらしてくれました。
過日テレビでそのニュースを知った時、私は「村田選手の勝利は、プロ根性の勝利!!なんと素晴らしい!!」と、感動しました。
ところで「プロ根性ってどんなもの?説明してください。」と、尋ねられるとなかなか短い言葉で綺麗に纏めて説明するのは、難しいです。
それでも敢えてワンフレーズで言うと
「自らの背負う使命感に真摯に向き合う姿勢」とでも言うのでしょうか。
ですから、先ずは自らの役割・使命を明確に自覚していなければなりません。
そして、それを全うするために、困難を排して全身全霊で臨みます。
そのためには、自制心を働かせ、使命を全うするために自己を律しなければなりません。
このように定義すると、今回の選挙に出馬した政治家さんたちの何人が、
プロフェッショナル精神を満たしているかと思うと、非常に微妙な気持ちになります。
改めて暗い気持ちに引き戻されます。世間では、彼らはプロの政治家と公認しているはずなのですが。
ところで、身近な職場の周囲のみなさんは、
きっと次のような言葉を漏らすのではないかと、思います。
「私たちは、プロフェッショナルではなく、単に給料のために働いているだけだ。だから、それほど必死の覚悟や使命感などは必要ではない。与えられたことをソツなくこなせることができれば十分だ。」
しかし、給料報酬への対価として働く(逆かな?働く対価として報酬を受け取る)のであれば、立派なプロフェッショナルだと、思います。
そして、所属する会社から、あるいは所属する組織から、給料を受け取るのであれば、その会社や組織の活動を継続させる、活動をより強力にすることに力を尽くすことが、使命です。
仕事を遂行しているうちに、この使命や責任がはっきりしなくなってしまう人がいます。
特に商談遂行などにおいて、顧客やサービスなどの提供の受け手側と接していると、相手側の意に沿うことこそが最大の使命と思い込んでしまい、そういう振る舞いを、し勝ちです。
つまり、自己の都合に無理をしてでも従う、何よりも相手側の気分を損じないようにすることが最優先かのごとく振舞っている人たちを、度々見かけます。
例えば、会社の会議に出席する予定が、ずいぶん前から決まっているにも拘らず、突如要請された顧客の要請事項を、無条件で受け入れて、会議を欠席してしまう。
さらには、商談決定当初の業務要件にはなかった事項が、突然業務要求として、相手側から提示される。そういった業務をその都度引き受けてしまう。
そうする理由を質すと、断ると顧客の不満を生じさせてしまう、と答えます。その挙句は、いつまでも手離れしない業務を大量に抱え込んで、疲れ果てている人たちがいます。
これ、変だと思いませんか。こんなことしていると、組織の継続という使命・責務を果たすどころか、逆の負の働きをしてしまいます。
商談の対価に見合わない業務を抱えたスタッフは、採算性が悪く、何よりその人自身の健康問題にも発展しかねず、組織にとっては、大きなコスト圧力となります。
これでは、組織としての継続や強化とは反対の効果、つまり組織にとっては負の効果になります。
会議に出席できないケースも同様です。
会議に欠席すると、時々の情報共有が出来ず、その結果は価値観や行動基準などの不協和となり易く、廻り回って組織にとってのコスト圧力となってしまいます。
自分に与えられた使命にとって、何が優先すべきことなのかをしっかり確認し、振舞う事がプロフェッショナルとしては、一番優先することのようです。
そしてそのように振舞った結果、何より効果的なのは、自己にとっての幸福感(達成感、遣りきった感、成長感、自信、自己肯定感・・・など、など、まだまだたくさんあります。)に繋がることです。