第812回 「インターフェース」
現在推進中のあるプロジェクトで起こっていることです。
プログラマーたちが書いたプログラムを、テスター役のメンバーがテストすると、思いのほかバグが多く苦情が一杯です。
プログラマーに
「何故?仕様書に書いている通りにプログラミングしないの?」
と、リーダーが困惑しながら聞くと
「仕様書に書かれていることを私なりに理解し、プログラミングしました。」
と、答えます。
次にテスト済みのプログラム群の結合テストを行なうと、再び多くのバグが発見されます。
「テスト済みなのに、何故バグがある?テスト仕様書通りにテストを実施すれば、こんなことは起こらないはずなのに・・・」再びリーダーです。
挙句には、「本当にテストは完了しているのか?時間不足で遣っていないのに遣ったことにしたのでは?」と、あらぬ疑いまで出てきます。
答えは、プログラムバグと同様に「テスト仕様書に書かれていることを私なりに理解した結果、テスト実施しました。」と答えます。
若いスタッフの日報や週報にも最近目に付く言葉は「手順書や仕様書に書かれていること、指示を受けたことを、私なりに理解して遂行しましたが、間違いである指摘を受けました。」と、言うような記述が多く見られます。
これは、何?
日本語で書いてある文章を、日本語を母国語とする人たちが正確に理解できない?ウソでしょう。
また一方、リーダー層などの指導する立場のスタッフからは、「指示した事が正確に伝わらない。何度言っても聞こうとしない。スルーされてしまう。」と、いうような愚痴を往々にして聞かされます。
こういう愚痴に対して私は、「話し方に工夫が足りないのでは?自分の見ている景色を説明せずに、いきなり本題に入ると相手は理解できないよ。」と、言うようなことを話します。
恐らく、人には自分で自身をコントロールしたい欲求が強くあり、それが故に他者の指示や考えがスムースに脳に馴染まないのではないのか、と考えます。
冒頭のプロジェクトチームメンバー一人一人は、決して仕事の能力が不足しているわけではありません。一人で業務遂行してもらうと、それなりに成果に結び付けます。
チームになると、何故か上手く行かないようです。
これも、自分で自身をコントロールしたい欲求同士のぶつかり合いの結果生じる混乱が原因なのでしょうか。
一時期、我々の業界では「ブリッジSE」と、呼ばれる人たちがもてはやされた時期がありました。
「ブリッジSE」は、日本IT企業が、中国を始めとする海外の安い人件費によって成り立つソフトウェアー製造現場に、業務を委託する場合に需要が伸びました。
日本語で書かれた設計書や日本企業の意向を、現地の製造メンバーに伝えるバイリンガル言語能力を持つインターフェース役です。
共通の目標に対して複数機能を接続させて、成果を導こうとする場合には、
正しく機能するインターフェースが必要です。
同様に、チーム内でばらばらのメンバーたちを上手く機能させるには、
正しいインターフェースが機能しなければならないようです。
この場合のインターフェースは、チーム内における共通の目標、成果物に対する共通のアプローチ手順・品質レベルを明確にすることです。
母国語である日本語を使う人たちであっても、意思の疎通に齟齬が生じるようであれば、同じくインターフェース機能を働かせる事が必要なようです。
この場合のインターフェースは、
伝える側が見ている景色を相手にも見させること、なのかなと思います。
何故だか、話が上手く伝わらない場合には、少し丁寧に背景・事情を説明し、
自分と同じ位置まで相手を誘い込むと、成功の可能性が高くなるかもしれません。