第853回 「あたり前の人」
人には様々なタイプの人がいます。
何事もやたら手早く、こじんまりとやり遂げようとする人。
なかなか決断できずに行動に移せない人。
大概のことはちゃんとやり遂げるのに、何故だかいつも自信なさげの人。
まあ、いろんな人がいるわ、と日頃から思っていました。
ところが、最近は新しいタイプの出現です。話がかみ合わない人のタイプです。
質問を投げると、質問したことから外れた、違うストーリーの回答をします。指示したことから微妙にずれた、遂行結果が提示されます。
最初は、指示の出し方があいまいすぎるのかと思い、繰り返し試行錯誤しながら指示を繰り返しました。しかし、やはり期待通りには、実施されません。
実施者当人は、決して不真面目なのではなく、むしろ一生懸命に遣ろうとしているようです。
ですから、指示した側も対応に困ってしまいます。
最近、教科書が読めない子供達や、読解力のない大学生などのマスコミ評価を頻繁に見聞しますが、こういう現実と関係あるのか、と思ったりもします。
これでは、コミュニケーション以前の課題になります。コミュニケーション力の重要性などをいくら強調しても、「日本語による話しかけ」という共通の伝達手段が無効では、意思の疎通はなりたちません。そもそも彼らは、自身のコミュニケーション力に課題アリとは、認識していなさそうです。
人前でしゃべることにも臆さないし、言語も自在に操れると、思っています。
しかし、彼らの使用する言語の構造は、微妙に違和感があります。唐突に、形式的単語が、出現したかと思うと、その単語に続く文章が省略されており、受け手側は雰囲気で推測せねばなりません。
これは、世代間の感性の違いなのでしょうか。世代の異なる者たちは、お互いの感性世界で推測しあって、理解し会えず困っているのでしょうか。困ったものです。
コミュニケーションの成功は、話す・書くなどの行為が上手に出来ることを指すのでは、ありません。伝わる、双方の思いを理解し合うことが、コミュニケーションの成功です。
ところが、始めはなかなか自分の思いは伝わり難いものです。人と人がわかり合う一番のキーポイントは、相互信頼にあるのかもしれません。相手のことを知らない初めのころは、相手の思考の内のそれぞれの景色を殆ど理解していません。
ですから、お互いに探りながら会話をします。
ですから、なかなか話は噛み合いません。
ところが、知り合って行動を共にするうちに、相手の考えやクセなどを段々理解していきます。
そうすると、伝え手は、受け手を自身の景色に誘うことが楽になります。なぜなら、お互いが親しくなることで信頼関係が生じ、安易に相手を受け入れてくれるようになるからです。
さらに効果的なのは、受け手に受け入れ易い「もの語り(ストーリー)」を語ることです。人間は、自らの体験から習得した知恵を基本に生活を営んでいます。
ですから、体験談のようなストーリーは受け入れ易いものです。さらに、ストーリーに一貫性があると、信頼・信用へと繋がります。信頼を得るには時間が掛かります。
目先に追われずにじっくり相手の信頼を得るまで待ち続ける根気力が、要求されます。仕様書を正しく理解して、手順書どおりに作業をする、「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」がきちんとできる、こういう若手スタッフは、あたり前だと思ってきました。
ところが今や、こういう人は、育成しなければ得られないようです。根気良く育成しなければならないようです。