第974回 「私たちは、完ぺきではない」
私は、歴史小説が好きで通勤中などの移動時の読書は、楽しみです。何故、私は歴史小説が好きなのか、と少し分析してみました。
先ず一番目は、歴史上の実在した人や事件がテーマの場合、リアリティ感を持って登場人物に共感(時々成り切ってしまう)するため、顛末へのストーリーに納得や、新たな視点を得るなどの追体験ができることです。勿論、この時の満足レベルは作者の力量と人間の成熟度に依るのですが。
そして、二つ目は漠然と自分自身の中にある感性や情報を、正確に言語化して提示されることも大きいです。
昨日気付かされたことは、完ぺき性に対する思いです。「君のお点前にはスキがない。」(言外に、それは良くないことだ。ということを匂わせる)と、いうようなことを客である老侍が、お茶席の亭主である壮年の侍に話すシーンです。そう、私が社会人になって初めて感じた感想が、会社の先輩や上司に対して、スキのない人は嫌いだ、と思ったことでした。
何故かと、問われると当時だと「スキのない人は、本音で優しくない。」と、答えたかもしれません。スキがないとは、当然当事者自身が緊張しています。そして、その緊張はあらゆる無駄そうに見えるものを一切受け入れない緊張です。
でも、無駄そうに見えるけれど、実際は必要なもの、有益なものはたくさんあります。そういうものが、クッションとなって、危機から救ってくれることや、助けてくれることが往々にしてあります。恐らくそういう効果を暗黙の裡に理解しているからこそ、私たちは遊び(余裕)に対して寛容だったり、喜んで受け入れたりするのだと、思います。それどころか、ワビやサビのように不完全な美を愛でたりします。
最近の私達の日常では、西洋的に均整の取れた、いわば完ぺきな美に馴染みが多いです。一方、でこぼこした鈍い色の茶碗にも、何かしらほっとするような安らぎと趣の「美」を感じます。つまり、ワビやサビへの感性です。
調べてみると、この「不完成への美」意識の由来は仏教の禅にあるようです。つまり「人は、自分が不完全性あることを意識すると、謙虚さや慎み深さを感じることが出来、周囲への感謝の気持ちと不完全である他者への思いやりを持つようになる。」というような訓えに繋がるようです。
そこで思い浮かぶのは、新入社員と、業務遂行に手慣れて来た少し経験が多いスタッフの心がけの違いです。新入社員は自身の未経験(つまりは職業人として不完全)を自覚しており、それゆえに謙虚に自己の足りないところを補うべく成長に励みます。日報を書くたびに、社会人・職業人としての自分を見つめ、真面目に自己分析や自己評価を行います。
一方、もう少し経験を積んで職場の業務を一通りこなせるようになってくるにしたがって、そのことに慢心してしまうようです。その挙句、ルーチンのようにスキなくこなせる仕事は、面白味がないと言い、だからと言って自己を振り返ることには思いがいたらないようです。新入社員の内は、グングン伸びたにも拘らず、なのです。
人は、完ぺきではないし、個人差があって当然ですので、小さな課題を克服しながら伸びて行く新人スタッフをみていると、とても明るい気持ちになります。つまり不完全であるほど、そしてそれを自覚するほど、伸びしろと可能性を多く持っているということなのです。