第829回 「人に見られる。」
私達人間は、仲間と社会生活を送っています。よって、仲間である他者からの目線「見られる」、「思われる」と、いうことには非常に敏感です。集団生活者にとって仲間から良く思われない、と言うことはリスクとなるからです。
そういう訳で、ストレスチェックを行うと、職場環境によるストレスや、対人関係からのストレスなどが、意外と大きな値で示されています。私の会社のスタッフ達は、概ね気性が穏やかな温和な人たちばかりですし、先輩がそれほど先輩風を吹かして居る様子を目にすることもありません。むしろ、失敗した後輩を庇うようなシーンを良く見かけたりします。
ですから、周囲の人から受けるストレスは少ないのだろうと、私は思っていました。が、そんな私の思い込みは安直すぎたようで、ストレスを大きく感じている人もいるようです。それを証明するように、スタッフから提出される日報や週報を読むと、「周囲の人たちから(仕事が)出来ないと、見られている気がし、不安である。」であるとか、「こういう風に見られるともっと評価される、そうなりたい。」のようなことが書かれているのを、往々にして目にします。
つまり、直接的な摩擦ではなく、自らが自らの思いにより、自らへの抑圧を作り出しているのです。それは、私達がある瞬間、自分を取り巻く回りの人たちの目を意識する時に生じます。「このように見られたい。」であるとか「このようには見られたく無い。」と、強く希求する時です。何のためにそんなことを思うのかは、「自分の信用を守るため、自分をより良く思ってもらい他者の信頼を集めたい。」と、言う思いが原因です。
そして、そういう意識が強く、自己コントロール力の高い人は、思いを強めている期間中、他者から見られる言動には注意を払い、評価を高めるよう努力します。しかし一方では、自分が他者を評価する際には、特定の期間の一部の言動だけを評価の対象とすることは、しません。普段の言動全てを思い浮かべ、知りうる限りのその人に関する情報を総動員して、評価を試みます。私達の普段の生活は、余り変哲の無い出来事や、それに伴う言動の積み重ねです。
詐欺師は、被害者の何気ない言動から、被害者の弱点や騙されポイントを推測し、詐欺行為に至るようです。つまり、私達の日常の何気ない言動は、その人の人となりや人格などを映し出しているのです。そして、他者はそういう日常の言動情報から、その人への信頼度、評価を行います。
つまり、我々はいつも周囲の人から見られているのです。ささやかな日常に時々トピックが、起こります。他者にとっては、そのトピックに対する記憶とその人への記憶が交じり合い、記憶に留まります。
しかし、その人を評価する時には、トピック時の言動だけを切り取って評価するのではなく、普段の言動全部から導かれる印象を基に、評価や信頼の感想を抱きます。つまり、普段、人は他者を良く見ている(観察している)のです。そして、そのことを直ぐに忘れます。
大概のことは、翌日には忘れられてしまっています。我々の脳は、自分に害が及ばない出来事や、自分に害が及ばない他者の言動は、直ぐに忘れるよう設計されているようです。
ですから「あんなことを言ったのは、恥ずかしい。きっと、評価を落としただろう。」と、言う心配は一般的には不要です。自身に害が及ぶようなケースでなければ、他者は翌日にはすっかり忘れてしまっています。つまり、他者は人を良く見てはいるけれど、忘れるのも早い。そして、以前目にした他者の様子と関連する何かと、自身の問題との関係性を感じた時に、突然思い出すようです。
人の脳の能力は凄いです。「人目」とは、こういう理屈で成り立っているようですから、あまり無闇に怯え心配することはありません。しかし、いつも人に見られている、一定の場合だけ取り繕っても日頃の言動を通じて見破られてしまう、このことは肝に命じておく必要がありそうです。