第780回 「働き方改革とモチベーション」
このところ“働き方改革”、“働き方論争”など働き方に関する議論が活発です。勿論、この議論の仕掛け人は、政府と言うか為政者の方向付けです。その結果、毎日のようにこのキーワードが報道を賑わせています。
この議論には、諸々の事情が関連しています。
徐々に提唱され始めた“ワークライフバランス論”。
過重労働を苦にして大手広告会社の新入社員が自殺しましたが、その事実を契機とした残業悪者論(企業への自粛要請)。
勤労者の自由に使える時間を増やして個人消費を活発にし、景気浮上の契機にしたい為政者の思い。
これらのなど、などです。
その結果、突如プレミアムフライデーなるしくみまで出現しました。
このように世論が何やら“バランスよく働く(ゆっくり働く)”ことに傾いて来ています。
そうすると、それはそれで居心地の悪い思いをする人も出てくるのではないかと、思います。
働くことや頑張ることに意欲が高い人や、辛うじてモチベーションを維持しながら働いている人たちには結構きついのかな、と思います。
働くことや頑張ることに意欲が高い人にとっては、時間を惜しんで頑張りたい想いが人一倍強いです。
一方、みんなと歩調を合わせるために、自分の想いを閉じ込めセーブしなければなりません。逆ストレスです。
辛うじてモチベーションをキープして頑張ろうとしている人たち、あるいは頑張っている人たちは、頑張らなくてもいいのだ、と言う思考が生まれた瞬間に、モチベーションが低下するだろうと、思います。
“働く時はしっかり働いて、休む時には十分休む”というようなメリハリ働きができるのは、自在に集中力をコントロールでき、普通の労力投入で得られる成果の質がソコソコ以上の人です。
こう考えると、新人や何とか仕事をこなせるようになった若い人たちには、“バランスよく働こう”思想は難度の高いものになります。
いわんや、何とかモチベーションをキープしながら日々業務の質を上げようと、取組んでいる人たちには、その行為が阻害される可能性の高い思想です。
そもそもモチベーションには、外的刺激によるモチベーションと内的に生成されるモチベーションがあります。
そして、内的に生成されたモチベーションは、外的な刺激を受けると、段々低下していく傾向にあります。
内発的モチベーション理論に基づくと、人間の動機付けによる行動は、三点の内発的欲求要因に分析されると言います。
その三点は、「自律性の欲求」、「有能性の欲求」そして「関係性の欲求」だそうです。
「自律性の欲求」というのは、自分の意思で自由に決定、選択することを指します。
これは、十分理解できますね。私たち大概の人間は、他者から「決め付けられる」「強要される」など「自律性」が守れなくなりそうだと、何とか抵抗してやろうという気分が生じて、モチベーションは急激に下がってしまいます。
反対に自分の意志で行動を決めている、と感じる場合はモチベーションが高まりますね。
ですから、何とかモチベーションをキープしている人たちは、頑張って内的発生モチベーションを自律的にキープしています。
しかし、外的刺激を受けると、外部からコントロールされている感(自律性の喪失感)が高まり、段々モチベーションは低下します。
二つ目の「有能性の欲求」と言うのは、自分はできる!という自己効力感を起点に、周囲の役に立つことや自己のステップアップを欲する心を指すそうです。
過去の体験や自信などから、何とか達成してやろうであるとか、周囲の役に立ちたい、と思い高揚する心です。
そして、それが達せられた時の幸福感は、何にも変えがたいほど心を高揚させます。
その上、一度覚えた高揚感が癖になり、一層励むと言うプラスの循環を生み出し、強い内的モチベーションとなって行きます。
最後の「関係性の欲求」は、自分にとって大切な他者からの受容感(誰かと結びついていたい、連携していたい)を感じたい、と欲する心です。
これらのことから説明できるのは、自分で選択し、自分のスキルアップのために、または誰かのために、みんなと一緒に頑張るという場合に、モチベーションが一番促進される、ということのようです。
ですから、働き方に関しても一律な方向付けでなく、個々の自由裁量に任せるような議論が最も相応しく、全体の生産性を高めるのではないのかと、私は考えています。