第799回 「挑戦の効用」
大変残念なことに、藤井聡太棋士の公式戦30連勝成らず、の結果に成りました。
残念な気持ちは大きいのですが、一方負けてほっとした気分もあります。
登場来勝ち続けて29勝によって、ついこの間まで普通の中学生だった14歳の藤井棋士を、国民的スターにしてしまいました。
そして、公式戦29連勝、見守る人たちの緊張を限界にしてしまっていました。
勿論、勝負当事者のマインドは、そんな柔なものではないでしょうが・・。
14歳と言う若さで連勝からの挫折を体験する、敗者の悔しさを体験するという、
濃い体験から彼は、非常に多くのことを学んだに違いありません。
「負けました。」と、対戦相手の佐々木5段に頭を下げる様子は、
あまり悲壮感も感じられず、私には希望の輝きさえ感じられました。
なんと言っても14歳です。
この体験が、次に彼をどれだけ大きく成長させるだろうか、輝きオーラを感じるからです。
一方、同じ負けでも、安倍自民党のほうには、
いまだに勝者の嘯きしか感じられませんし、それ故の・・臭。
敗れることに対する向き合い方が、人の輝きや成長に大きな影響を及ぼします。
敗れる(失敗も同様)、そのことをやたら大きな脅威に思い込んでいる人たちが、います。
そういう人たちは、彼らの様々な様子から敗に恐々の思いが、伝わって来ます。
例えば、いつも挑戦から身を引く人たちがいます。
そうすると、新たなことを学ぶチャンスと、
上手く行って成功した時の得も言われない高揚感を得る事が出来ませんので、
成長と感性が、非常に緩やかになります。
また、敗を避ける気持ちからか、あるいは責任回避からか、事ある毎に、
自己の言動や決断に対して、他者の承認を得ようとする人たちが、居ます。
このような人たちは、他者の貴重な時間を奪い、
合わせて自分が成長する機会を自分から奪うという、二重の奪いを犯しています。
自己評価で「もしかしたら失敗かも・・」と思うと、
その事実を自分の内に閉じ込めてしまう、つまり情報の開示を拒んだり、
催促されてしぶしぶ開示したり、時には曲げて開示などをします。
これでは、本当に失敗した場合の対処が間に合わない、より重症化する、
などが生じてしまいます。
そして、それ故必然的に生じる負の影響を関係者へ及ぼしてしまいかねません。
つまり、敗を恐れすぎるのは、自分の成長を阻害する以外に、
周囲の人たちへ負の影響を及ぼすのです。二重の負を生み出すのです。
挑戦する、場合によっては不幸にして敗れる、これらのことから学ぶことは、
非常に多くあります。私の性格特性は、どちらかと言うと向こう見ずだと自覚しています。
ですから、相対的には挑戦・行動するほうだと、自己評価しています。
しかし、その特性が災いして、安直・拙速に物事を運んだことも多く、
当然敗体験も多いのですが、終わってからの振り返りは毎回大きな収穫です。
その学びは、同じ過ちを繰り返さない。
原理や流れが似かよったケースであると思える過ちは、
事前にイメージトレーニングで阻止する。
自分に不足する資質を自覚する(よって謙虚感が芽生える)。
何よりも敗れる人を理解する(同じ過ちを繰り返すのは許せない)。
敗から立ち直る精神性が強くなる(再度の挑戦力が高まり、ポジティブ思考をする)。
完璧でなくても良い(いつも完璧を目指すのではなく、敗れない程度の成功であれば良い、
バランス思考が身につく)、と思えるようになる。
などなど、まだまだ書きつくせないほど大きな効果があります。
そして、得がたい幸福感もあります。
成功した時、または、敗からの立ち直りを自覚した時の高揚感がそうです。
さらに、自分を追い込んだ時、
自分でも自覚していなかった思いがけない力を見つけた時の幸福感も、
他からは得る事が出来ません。このように挑戦と敗はセットになった学習です。
折角の学びのチャンスを遣り過ごす、あるいは避けるのは、自らの成長の放棄でしかありません。