第801回 「元気が何より」
運送会社の配送スタッフの超過勤務問題が発端となり、日本国内のサービスの現場の思いもかけないような現場において、いきなりギブアップ宣言が出てきました。
例えば、
宅配サービス業者、
通販会社の宅配を筆頭とするサービス業務、
コンビ二やファミレスなどの深夜営業、
酒屋の安売り競争、
クリーニング業界の価格競争、
などなどです。
みなさんそんなに大変だったのですか?
そこまで遣ってもらえると、便利で助かると、思っていたのですが・・。
やはり安いと一層安いことを期待しますね。
と、私たちが“良い!便利!”と、感じていた事が、実は業者にとっては耐えられないほどの重荷だったようです。
その原因は、労働力不足であったり、コスト問題であったりなどです。
その挙句、もう過剰サービスを続けることは出来ない、というギブアップ宣告です。
安かったり、便利だったりは、過剰サービスだったのですか?
今や私たちには、当たり前のサービスになってしまっていますが。
ですから、止められると不自由します。徒、言うのが我々の本音ですが・・。
過剰サービスにも理由と歴史があり、一挙に過剰サービスになったわけではないでしょう。
しかし、持ちこたえられなくなるまで我慢し続けるとは、同情ものですね。
恐らく、いずれも当初は、他より抜きん出るが為の戦略であり、その後競合他社が追随すると、段々業界の標準になって行ってしまい、止めるに止められなくなったのでしょうが。
問題は、感じ始めた時に何故何かの対処をしなかったのか、ということです。
あれっ、あれ、と思っているうちにドンドン嵌りこんでいってしまいます。
今回の騒ぎの当事者である大手企業には、経営計画やマーケティングの権威が在籍しているはずです。
そういう人たちには、人口減少で労働力が減少することも、コスト競争の採算ラインもお見通しだったはずですが、なんで今頃?
そして、今回の騒ぎの特徴は、課題が開示されてからの関係者の動きのテンポが、非常に早い感じがすることです。
それほど、破綻寸前だったのでしょうか?
少しやらせっぽい臭いもなにやらしますが、サービス現場の当事者が声を上げている様々な課題は、外部からも十分察せられます。
世の中には、経済の専門家、学者、評論家などが、多くいます。
何故、そういう有識者たちは、問題がこのような混乱状況になるまで放置していたのでしょうか?
一方、このケース、シーンを変えると決して目新しいものではありません。
私たちの業務現場でも、見受けられます。
新しい業務や技術に挑戦する若いスタッフに任せて出来る様に思えたからか、リーダーは任せっきりにします。
恐らく、若いスタッフは、信頼された気持ちに応えなければならない気持ちが強く働き、黙々と頑張っています。
気になった誰かが時々声を掛けると、「大丈夫です」と、返してきます。
その内、残業が多くなり、頭を抱え込んでいる姿も目に付き、いよいよ大変そうです。
段々、その必死になっている様子が、他者の介入を拒絶する為自分を囲う壁を築いている様に感じられ始めます。
本当は、この時壁を壊してやらないとならないはずですが、周囲のメンバーは自身の業務に余裕が無いため、それ以上介入しないでいます。
いよいよスケジュールの終わりになって、
「実は殆ど進んでいません」ですとか
「何とか途中まではできたのですが・・」と、いうように、急に崩れてしまいます。
中には、最後まで出来ていないことを明らかにしないので、大騒ぎに成るチームも在ります。
これは、そんな状態になるまで自分を追い詰める当事者にも問題はあります。
しかし、何よりも責任が重いのは、周囲の人たち、特にリーダーなのです。
周囲から危ないのでは、と察せられた時、放置しておいたことが一番大きな問題です。
社会は、メンバーそれぞれの共同作業現場です。
共同作業は、能力や立場や経験などによって分担されています。
組織の上位の者は、自身の目線の範囲にいつも目を配り、メンバーが元気で活動することに責任を持たねばなりません。
メンバーが元気であること、それが一番の使命だと、思います。
そして、元気のないメンバーを見つける・サポートする仕組みを持つ組織が良い組織です。
元気でさえあれば、品質も生産性も必ず上昇するはずです。
こんなことを私たちの業務現場で遣られたら、たまったものではありません。
にっちもさっちもいかなくなるまでひたすら下を向いて遣り続けている、誰か同じような境遇に置かれた仲間が限界を向かえてついに声を上げるのを待っていたかのように、一斉に泣き声を上げる、そんな様子が浮かんできます。
無駄な労力です。
渦中にいると、そういう自分達の姿を客観的に見る事ができなく、ひたすら眼の前を追いかけるのでしょうが、客観的には、無駄の塊のように思えてしまいます。
同じように無駄は、NETを利用したいろんなビジネスにおいて見受けられます。
例えば、NET通販において特売キャンペーンには、一斉にアクセスが集中する。
そうすると、つながり難いであるとか、瞬く間に売り切れなどが起こります。
通信費用は安価になったとは言え、サービスをする側受ける側共に労力コストは無駄ですね。
サービスは、受け手が必要とするサービスが届けられるのが理想です。
サービスを提供する側が一方的(独断と偏見に基づく)に施すのではサービス品質として高いものではありません。
むしろ、それだとサービス提供側が施してして満足するだけです。
受けては迷惑です。
駅の構内や電車内のアナウンスも余計なもの、無駄なものが多いですね。
アナウンスする労力は無駄ですし、アナウンスを聞かされる側にとってはただ喧しく、心地悪い上に必要なアナウンスを聞き流してしまう原因になったりします。
実際に札やコインが自分の手から出て行くのではないので無駄に気付かないかもしれませんが、自分達の日常を振り返って、無駄な労力や電力などを費やしていないか、時には振り返りませんか。
例えば、不要なメールへの返信、目的もなくネット利用など、などです。