第931回 「新型ウイルス」
新型ウイルス騒ぎは、何時まで続くのか全く不明で、不安は大きくなる一方です。
ニュース映像で映し出される欧米のロックダウン状況を見ると、同じような状況に置かれたとしたら、私たちは耐えられるのだろうか、というほど悲惨な状況が映し出されています。当然のごとく一切の外出は制限されておりますし、警官が違反者を監視しています。
最もショッキングな映像は、多すぎる死者の扱いに困り、フォークリフトで死者を冷凍車に積み込んでいる映像でした。発展途上国ではなく高度に成熟した文明国の映像です。
映画やフィクション映像ではなく、リアルな現実映像であることが、にわかには信じられないほど大きな衝撃を受けました。
いずれ終わる時が来るのでしょうが、収束のシナリオどころか、今後の行方のシナリオさえ、予測がつきません。体験者がいない、学習材料がない、現実的にこういう事態への対策を検討していなかった、などがその理由のようです。
頼れる情報や知識がない状態に置かれると、日ごろ手軽に情報や知識にアクセスすることで、安易に問題解決を図ることに手慣れてしまっている私たちは、途方にくれます。
そして、何も手掛かりがつかめないことによって、不安は一層募ります。日本でも本日、政府による「緊急事態宣言」が発令されるようです。欧米のような悲惨な状態にならないことを祈るばかりです。
そのためのキーワードは「自発的」、「利他」などかもしれません。
つまり、みんなが結束してウイルスを抑え込むつもりで臨まねばなりません。自分一人が感染したとしても、被害は自分だけで留まりません。自分の周囲にいる人たちや、医療従事機関やスタッフの負担となります。つまり、一人の感染は、複数の被害を生じさせます。
あるいは、外出自粛の要請を聞き入れず、自在に外出する人がおり、同調する人が出てきますと、そういう人達は、たちまち膨れ上がりますので大勢が自在に外出するようになります。当然、感染者は増えます。このような事象を考慮すると、自分のことだけでなく周囲に配慮することによって、危機が回避されやすく、局限化を避けることができると、思います。
ですから、まず私たちが心がけるべきは、自身の健康に気を付けて、周囲への配慮を怠らず、むしろ情報や医薬品などの交換など、ある時は助けられ、ある時は自らが手を差し伸べて、協力しあうことです。恐らく、今回のウイルス騒ぎが収束した後には、そういう価値観が主流となるのではないかと思います。
こういう時期に社会人デビューした新入社員たちは、大変な時期にめぐり合わせたようですが、当社の新人たちは粛々と新人研修に勤しんでいます。こういう落ち着かない時期に新しい環境に移行して来て、毎日が日常なのか、非日常なのか判断がつかないバタバタ状況で過ごさなければならないのは、一見不運のようにも感じます。
しかし、反面幸運かもしれません。穏やかな日常では体験できない非日常を体験できます。それは、一生に一度巡り合えるかどうかのレアなケース学習です。勿論、新人以外の人たちも同様の体験をするのですから、学習チャンスは同じように与えられますが、学習効果はやはり若い人ほど印象が強く効果的だと思います。
ですから、今回のような騒ぎに遭遇したことを嘆かず、むしろ幸運だと思うことです。騒ぎが収まると、経済への打撃や、社会の疲弊に気づき混乱が起きます。恐らく、その後は混乱した社会を立て直すために、変革が起こります。その時に、良い変革がなされることを期待し、明るい材料を希望に繋げて今を粛々と過ごすことが、今できることの精一杯だと、思います。