第932回 「アフターウィルス」
新型ウィルスで緊急事態宣言が出された先週末は、外出もままならず、どうせ何もかも閉まっているのですが、仕方なしに自宅にこもって過ごしました。
自宅外へは、食材の買い物とジョギングを兼ねた散歩だけです。健康で個人的には何も事情も抱えていないのに、自在に外出ができないことを、かなりストレスに感じました。
私は、いまだに通常と変わらず出勤を続けていますので自宅にこもったのは、週末の2日間だけでした。
一方、在宅勤務や休業中の人たちは、この不自由な状態が続いており、いつまで続くかわからない状況にあるのですね。それだけでもかなりの苦痛だと、思います。
在宅で新人研修中のスタッフは日報に「集中して課題に取り組むことができましたが、周りに人がいないので、自分の作業スピードが遅いのか早いのか、測ることが難しいと思いました。」と書いています。
また、別の在宅新人スタッフは「この状況に置かれてから気づくことは多く、何より人とのふれあいは人間を構成するにおいて、自分の認識よりもはるかに重要なものだと感じました。」と、書いていました。
ヒトは、太古から群れて生活して来たというか、「群れ」を構築し、その仕組と性質を人類が生き抜く手段にしてきたようです。
ですから、長い年月を得て我々人類には、他者との触れ合いを頼る遺伝子が、育まれたようです。
他者と触れ合うことによって、助けられます。教えてもらえます。成長もしますし、感情が豊かになります。他者へ手を差し伸べることや、貢献することから得られる幸福感や、達成感を味わえます。
何よりも他者と共感しあうことによって孤独感から解放され、力強さが湧くのを感じることが出来ます。
ヒトは、このようにして他者との共存社会を構築し、その社会を通じて問題解決を行い、種の存続を保ってきました。つまり、私達ヒトが生き続ける条件として、他者との関係性を取り込んだのです。
その結果一方では、他者を意識することから生じるネガティブ効果を併せて生じさせました。
社会のネガティブ現象として今最も気になるのは、集団内でのイジメです。
集団に馴染まない人へのイジメは、行動は肯定できないが、理屈として理解できるとしても、個々人の感情に依存するイジメについては、客観的には殆ど理解も納得もできません。
しかし、何らかのイジメ側のネガティブ感情(欲、嫉妬心や孤独感など)が、イジメ行動を引き起こすようです。
このネガティブ感情(欲、嫉妬心や孤独感など)は、自分と他者を比較することから生じます。
他人から非難されたくない、他人の目線が気になる、誰よりも一番認められたい、こういう感情は誰しも覚えがあるのではないかと、思います。
この結果が、激しい競争心や嫉妬心などを生じさせます。
「これらネガティブ感情が、人を不幸にする元なので、ネガティブ感情をやり過ごすようにしなさい、厄介な感情をスルーするようにすることが、不幸にならないコツだ。」と、説いたのが仏教のようです。
このように考えると、仏教は不幸を避けることにばかり焦点を絞ったかなりネクラの宗教のようです。
一方、現代を生きる私たちは、ネガティブ感情を自分たちに有利なものにすることが、勝ちの戦略だと気づいています。
例えば、人に負けたくない気持ちを挫折させると、嫉妬などのネガティブ感情を引き起こしますが、そのまま磨き続ければ、健全な競争心として育ち、将来の希望に繋がって来ます。
同じように今回のウィルス騒動に対しても、現在の状況だけに一喜一憂するのではなく、「アフターウィルス」を目標に何をすべきかを考えるべきだと思います。
現在は、「アフターウィルス」まで延命できるかどうか、という切羽詰まった状況に個人も組織も置かれているのですが、だからこそ「アフターウィルス」に希望を託して、何とか切り抜ける方法を、工夫し続けましょう。