第954回 「プライド」
前回は、若いスタッフのコラムを紹介しました。
「最近の若い人たちは、読解力や文章力がない」などと言われて久しく、私も日ごろはそういうことを放言しています。
ですから、彼のように書くことを楽しんでくれる若いスタッフがいると、とても頼もしく思えます。
さて、今日のテーマは「プライド」を取り上げたいと思ったのですが、これが思いの外なかなか手ごわいものになりました。
プライドをテーマに選ぼうと思ったきっかけは、中曽根康弘元首相にまつわる話からのヒントです。
新型コロナウイルスの影響で中曽根元首相の葬儀が半年遅れで最近やっと執り行われた、というニュースを片隅に見つけました。
併せて中曽根元首相の内閣発足や、その後の活躍の概略などが、簡単に紹介されていました。
そういえば中曽根内閣発足当時の中曽根元首相の評判は非常に芳しくなく、その後内閣運営の成功を重ねた後に評判は少しずつ上がってきたと、いうことを何かで読んだ記憶が蘇りました。
首相への着任時は寝返り劇、退任時の発言では「なってしまえばこっちのもの」という言葉など、私の記憶の中の印象は「喰えない人柄の悪い人」でした。
併せて頭に浮かんだのは「プライドは、ないのか?」でした。
今、このことを思い出しながら考えるに、恐らく、とても自身のプライドコントロールが上手な人だったのだろうと、思います。
こういうことがきっかけで、プライドという言葉が少し気になりました。
プライドという言葉を日本語表記すると「自意識」「自尊心」などが思い浮かびます。
自意識はまあプライドと同意かも知れませんが、自尊心はプライドとは微妙に異なると私は思います。
よって以降は、自尊心を除くプライド、自意識に関しての私の思いです。
プライドが、過剰や過少に偏ると人間性に歪みがでます。
例えば、プライド過小の場合。自分の考えに信念を持たないため、言動の指針が振れやすく、周囲に同調しやすいようです。
自らへの誇りがない故、平気で媚を売ったり、外聞をかまわない言動をしたり、最終的なメリットのためには、そのプロセスはまったく気にしないようです。
以前、私が中曽根元首相にはプライドがないのか、と評価したのは、彼の行動が上記に該当するように映ったからです。
そして、なりふり構わない行動は、責任感がないその場しのぎでしかない感じを受けます。
それ故、直ぐに謝罪するという特徴もあります。
自分の考えを理解してもらうよりも厄介毎から逃れることを優先的に行う為です。
以上のようなネガティブ特性がありますが、ポジティブ特性もあります。
お人好し、自分より格下の人には甘い、八方美人で交友関係が広い、などの人間関係上の特性を持ち、概ね平穏な人間関係を築き、周囲にとっては便利な人です。
尤も注意すべきは、プライドの低さが限度を超すと自分の存在の意味付けができず、刹那的な言動をとってしまい、自分に自信がなく、他人への尊厳も持てずに、反社会的(犯罪や、虐待など)になってしまうようなこともあります。
一方、プライドが過剰の場合は、自分が絶対正しいと思い、人の意見を聞くことや我慢強く待つことをせず、傲慢です。失敗する自分を恐れ完璧主義になります。
人に依頼することや頼ることが苦手で、自分の思うようにならない時はイラつきます。
自分が劣等感を抱かないために自分より高いステータスの人との交流は避け、交友範囲が限られます。
いつも自分しか見ていないため、人当たりが冷たく、親しい友人などが少ないです。失敗やミスに弱く、一度の失敗やミスでいきなり落ちてしまうことが多いものです。
こういうネガティブ特性故、周囲にとっては厄介な人です。
しかし、彼らは一度決めたら貫き通す特性や、自分をしっかり持っているので頼りになるなど、確かな成功の条件を満たしています。
このようなプライドの持つ特徴を眺めながら、自身のプライドのバランス調整ができると、いつも健全な精神と平常心を保つことができますね。