第957回 「チーム」
昨朝、ニュースの狭間にテレビに流れていたのは、小学校の校庭にいる元気な子供たちの映像でした。
校庭に集まっている子供たちは、バラバラの服装で楽しそうでした。
私服らしいラフな服装もあれば、明らかに制服姿の子供たちもいます。
子供たちへのインタビューは、「今日は、ゆったりした服装の方が良いと考えたので、私服で来ました。」であるとか「いつも制服だと楽なので、制服にしました。」と、なるほどと納得させられる返答です。
もともとは制服規定のある小学校らしいのですが、どうやら制服でも私服でも子供たちが自在に選択できるように、制服規定を改めたようなのです。
規定を改めた理由は、子どもたちが、合理的な選択ができる人間になるようにする教育目的だと、校長先生は説明していました。
併せて同じ目的から、他にも様々な改革を行っているようでした。
もう一点例として紹介されていたのは、よりハードルの高い挑戦に思われたのですが、宿題を自分で設定する、というものでした。
教育現場にこのような意識の高いチャレンジャーがいることに私は朝から大感激。
同時にこういう自主性を高める教育を受けた子供たちが大人になったら、有能者にあふれる社会が実現するのだろうかと、少しワクワクしました。
最近の新人たちは、指示待ちばかりだ、仕事を自らが行うという意識が乏しい、どうしたものか困ったものだ、と毎年毎年言われ続けて何年経つでしょうか。
20年くらい?さらに長いかもしれません。確かに数年たつと、自ら動けるようになるスタッフたちも、新人のころの「次に何をしたら良いのですか?」であるとか「指示がないので・・・・。」というような言葉や態度に気づいて、私も気になっていました。
これは、彼らのせいではない、教育のせいなのだ、と自らを納得させることもあります。
確かに新人時代をこのように過ごしたスタッフたちが、経験を重ねることで、自ら動くことを学び成長しますので、こういうスキルは体験でしか鍛えられないものかも知れません。
一方では、多様な価値観が横行し、人々は他者のそれを尊重し、各々が自らの思うままに行動する、つまり自由度の高い社会は、一見理想のように映るが、混然とした社会であり、それもあまり良い社会と言えない、という意見もあります。
例えば、今回の新型コロナウイルス対応において中国が他国よりも上手く収めることができたのは、権力で有無を言わさずコントロールを強化することによって成功したのだ、という意見がその代表です。
確かに、中国は人口が多いです。民族も多数ですし、文化性なども様々です。何よりも経済力や教育の格差が大きいです。
ですから、緊急時などは強権を発動させてコントロールを強化するのが、手っ取り早い方法かもしれません。
一方、アメリカ大統領選で争って敗者となった大統領候補者は、敗北宣言において「今までの選挙戦における戦いはリセットして、今日から私は、チームアメリカ(アメリカ国民)のメンバーとして尽力します。」と、言うような事をいうのが慣例だそうです。
なんとも知性を感じさせる態度、言葉です。つまり、多様な価値観や考えがあっても、アメリカ国民の目的は最終的にアメリカの発展と平和です。
そのためにみんなと同じ方向を向いて頑張ります、というものです。
国でも組織でもチームメンバーの目的は、遠くの目線では一致するはずです。
一致しなければチームメンバーではありません。
多様な価値観を持ち、自在に行動するメンバーが同じ方向を向いて頑張るスタイルができれば、最も望ましい活気と知恵が溢れるチームになるのではないでしょうか。
時々は、意見の衝突があり、お互いに研鑽しながらより良い成果へ導く、そんな素晴らしいチームが理想ですね。
それには、メンバーの自律性、自立性に併せて高い知性を欠かすことはできません。
知性が欠落した自由度の高いだけのチームや社会は、中国式統治しか手段がないのです。